当時の乗用車工業
ポルシェがもしその申し出を受諾すれば、直ちに"ソ連邦国家設計家"の称号が与えられ、何か一つの仕事をするたびに彼の望みのままの報酬(白紙の小切手帳が与えられる予定だった)を受けとれることになっていました。
火の車のポルシェ設計事務所としては、ソビエトからの提案はまさにのどから手が出るくらい、願ってもない好条件でした。
・・・しかしポルシェは冷静に状況判断を行いました。
たしかにソビエトの工場建設は急ピッチで進められていましたが、かんじんの自動車工業は当時全く幼稚な段階にありました。
彼の腕を振う余地はなかったのです。
そのころ乗用車工業は、一国の総合的な工業力の指標として重要な意味をもつようになっていました。
しかしソビエトも当時の日本と同じく、軍事技術に過大に傾斜した産業構造をとっていましたが(航空機、軍艦、戦車、火砲が中心)、近代的工業国家としてのバランスのとれた成熟度は低かったのです。
もちろん中古車の数も少なかったのです。